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Thursday, August 14, 2014

フルカラー炎による何か

Conception

奈良の燈花会にいってきて、炎というのはきれいなもんだなと再確認した。で、何か炎色反応を使ってできないかなぁというアイデアを思いつく。

この間メディア芸術祭に投稿する中でわかったのが、(メディア)アートは、単におもしろいからやる、という以上のものだということ。アートがエンターテイメントと違うところは、そこに人間理解や発展のためのアイデアや、疑問が非言語的、言語的にかかわらず表出していなければならないということ。それが美しいということであり、初めて人に理解され、作品がアートたり得るのだと思った。

言葉を変えれば「オモシロイ」と「美しい」や「役に立つ」は違っていて、オモシロイだけのものにはみんなアキアキだということ。もちろん「オモシロイ」からいろんなことは始まるんだけど、そこからもう一歩進まないとダメだということ。

スティーブ・ジョブズがiPhoneを作った時「顧客は作ってもらわないと何がほしいのかわからない」と言った。僕はアートの役割は、人々にアイデアを広め、未来を作ることだと思っている。そのために、作ったデバイスを教育に使ったり、商用化して広告に使う、という手法があるのだと思う。そうやってお金とヒトを巻き込んで初めてアイデアが広がっていく。


I've got an idea for new "Make" stuff when I went to a local lighting festival.

The last submit of my work to Japan Media Arts Festival 2014 gave me some idea of what the Media Art is. That is, it is not something that we do because it is just interesting, but it is more than that. Media Art is not an entertainment, but it requires some insight into what humans are, or how humans evolve or any questions about humans. Some time before, I thought like "there is nothing important in making things, just having fun is what makes me live." It is fine, and I know many people who make great things for just fun. I don't know what the truth is, but next time I will consider deeply why I want to make it before start making stuff.

Hypothesis (or Theme)

調べてみると、炎色反応の仕組みはLEDが発光する仕組みによく似ている、というか電子がなんちゃらしてその際にいろんな光を出す、、というのは同じ。

じゃあ違うのは何なのかな?ということが最初に気になってしまう。結局本質的に同じならば、それを使って作品を作ったり、技術開発をする必要はない。炎で強制的に光らせるのが炎色反応で、電気の力で光らせるのがLEDという認識でたぶん間違ってないと思うのだけど、ここでの疑問はそういうことではなくて、「人間が見る」時にどういう違いが生まれるのか、ということ。

人間にとって光は単に目に入ってくる電磁波なのだから、炎と全く同じ光をLEDで実現することは理論的には可能だ。ちょっと前の学生のアートプロジェクトで、LEDのブロックをうまいこと点滅させて炎のように演出し、かつセンサを使って炎が燃え移っていく様をシミュレートした作品があった。

「おもしろい」という感想よりも、「なんで無理して炎に近づけるの?その意味はなんだろう?」ということを考えたいと思った。たぶんそこに、メディアアートの「楽しい」という以外の意味がある。

LEDやプロジェクションを使うアートこそが「メディアアートだ」なんていう人はたぶんいなくて、なんでそれが使われているかというと、単にそこそこ派手で、制御しやすいから以外の理由はないと思う。もしプロジェクションではなくて、本当にそこに発光する何かがあればそちらを使いたいと思うのが当然だし、僕の前のプロジェクトはそういう発想だった。結果として規模は小さかったけれども、納得できるものができたと思っている。

LEDやプロジェクションの作品を見ていて、結局、人間は自然にあるもの、以上のものはつくれなくて、アートはそれの模倣にすぎない、嘘っぱちだ、なんて気持ちが沸いてくる。だが、うまいこと人間の認識をだまして、刺激を与えるのがアートだ。実際にそうやってたくさんの絵が生まれ表現が生まれ評価されてきた。デジタルアートが、「ぴかぴか光る目新しさ」を失ってしまったらそこに残るのはやはりそういうアートとしての本質なんだろう。

ここで、一つのテーマが浮き彫りになる。つまり「自然と人工のあいだ」これがメディアアートの一つの目標であり、人間の認識や存在にとってのテーマであると思う。つまり、完全に制御された光と、自然の光の中間の光を作り出したら、それは人間にとって大事なものになるかもしれない。

Mechanics Sketch

最初に思いついたのが「炎色反応で炎を混ぜて、たくさんつくってディスプレイにしよう」という半ば思考停止のアイデアである。「またそれかよ」と頭の中で声がするが、ほかに思いつかないので仕方がない。

炎の電子制御

炎の電子制御といえばリンナイ株式会社である。サイトを見ると、同社の特許技術とかいろんな技術が見られる。ただ、そんな難しいことをしたいわけではなく、単にいろんな色の炎を出したいだけ。

まず考えたのが、レインボーキャンドルのような固形燃料を鉛筆のように加工し、ちょっとづつモーターで送っていく方法。別にガスバーナーのように炎を別に用意してやれば個体にする必要はなく、金属棒を少しずつ焼いていくことになる。しかし、うまく粉末にしないと綺麗に燃えないようだ。

次に考えたのが、白金線(ニクロム線)を円形に加工し、ステッパモーターでまわしつつ、各色の液体を混合しながら供給するという方法。液体はソレノイドバルブで制御し、ニクロム線に滴下もしくは、繊維をこすり付けるようする。違う液体はニクロム線に滴下する前に混合されるのがベストだが、液体の状態で混ぜるのは難しそうなので、一つの液体につき1本のニクロム線を用意し、液体の時点では混合しないほうがいいかもしれない。

普通炎色反応の実験をする場合は、液体にしみこませてあぶる、という方法を取るのでこちらのほうが自然な気がする。液体の場合、一旦気体になるときに粒子が分散するので、綺麗な光がでるのだろう。メカニカルにはちょっと難しくなるが、液体のコントロールは簡単になる。

この前のプロジェクトの時も、始まりはこんなもんで、3年後には実現していた。これもきっとがんばればうまくいく。

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