SyntaxHigh

Saturday, August 23, 2014

「人間の模倣」を行うメディア・アート

作品のハートを認識する

Shoji Pixels を外部に投稿する際に、「コレは一体何なのか?」ということを考えました。人が見て、審査する際にも同じことを考えるでしょう。はっきりとしたメッセージを持って、それに反ったストーリー性のあるビデオやWebsiteをつくろうと思いました。

インタラクティブアートとは、Wikipedia によれば次のようにあります。

  • インタラクティブアート(英: Interactive art)は、観客を何らかの方法で参加させる芸術の一形態である。 ある種の彫刻では、作品の中や上や周りを歩くことでこれを実現する。 コンピュータやセンサーが観客の動きや熱などの入力に反応するようにした作品もある。

どうやら、「インタラクティブ」という言葉はとても曖昧で、人が積極的に介在できるものならなんでもインタラクティブアートといっていいようです。

Shoji Pixels のテーマも人間で、「動くもの」がどう人に影響をおよぼすのか、という目的を持っています(そのように作品概要に書きました)。例えば、自由に変化する形が動く、それに対して人間が影響を受けるのか、それを追求するのが今作品のテーマです。

センサによって強調される「人間」のアート

センサの発達によって、アーティストも技術を簡単に使えるようになり、「センサーを使ってリアルタイムに反応する」という作品が溢れかえるようになりました。

そして、だれでも観客の何らかの情報を読み取り、自分のアートにそれをコピーさせることができるようになりました。またそれが「オモシロイ」ということで沢山の人が影響を受け、同じような作品を作っている、というのが現状なのではないかと思います。

ここで、なぜそれがオモシロイとおもわれたかというと、本来アートは「アート->人間」にメッセージを発するものです。それによって人間の内省が巻き起こり、感動したり泣いたりするわけです。センサを使うことにより、それが逆転します。人間の動きを機械がマネできるようになった。

つまり、人間の動きをフィルタリングしたものが提示できるようになったわけです。もともとの動きが人間なのだから、出てきたものはとても人間っぽい。それを機械っぽく演出することも可能だし、強調して演出することも可能です。元々が「人間」とう多様で謎に満ち溢れたものですから、表現の幅が格段に広がったわけです。コレがインタラクティブアートの本質なのではないかと思います。(フィルタリング、とは簡単な言葉で言えば、選り分ける、つまり漉すことです)

センサへのアンチテーゼ

これに対して、一部のインタラクティブアートは、その圧倒的表現力で未だに観客を圧倒します。そこには「観客は黙って表現を受け入れていろ」という傲慢ささえ感じるのですが、アートとは本来そういうものだと思います。個人が引きこもって圧倒的な情熱で時間をかけて作るものは、簡単に観客に踏み込めるものではないはずです。

僕はコンピュータが好きで、そういう仕事についていますが、こういう圧倒的なアートのちからというのに憧れていました。ただ一方で、単に手続き的な「機械」が人間にどう影響をおよぼすのか興味を持っていました。

Shoji Pixels では、センサーは全く使っていません。最初はセンサを使ってそれをコピーすることによって作品自体が陳腐化してしまうのではないか?と考えていました。しかしテーマが「(人間よりもはるかに大きな)世界が動くから、僕らが動く」であり、人間のフィルターされた動きではない、という結論になりました。

その代わりに人間の近くで、人間と同じ大きさで「ダイナミックに自由に動く」ことで観客に参加を促し、より近くで印象を受けてもらえるように作りました。作品が動き、観客がそこにはいって動いているものと対峙する。それがこの作品に於けるインタラクティブ性だと思っています。